自分を語れ、でも越えるな 2008年12月

時期的に忙しなくなってきた、と感じ出している会員が多いと思う。しかも「今までこんな気分で過ごす年末年始はなかったな」な~んて感じているかも。あまり深刻にならないほうがいい。みんなそうだから。私だってそうだった。去年や一昨年の会員だって、もっと前の会員だって例外なく、初めてで不思議な感覚をどこかに引きずりながら直前は過ごすのが就活。どうせそうなのなら、少しでも落ち着ける、余裕が持てるようにしていきたいところだ。
さて、担当講師と面談や相談をしていると大抵の会員は気分がスッキリするはずだが、何日かするとナゼか「分からなくなった…」。こういう感覚を持った経験がある会員は意外と多く、先輩たちでも少なくなかった。しかしこの感覚はちっとも不思議ではないのだ。
簡単にいうならば、からまっていた糸がようやく解けていく時と同じで、前に進んだ証拠なのだ。今まで生きてきて、本講座から投げかけるような事を考えたことはまず無かっただろう。もっとも生きてきたといっても20年程度だから、自分と向き合うこと自体が会員一人一人にとって、その見えたこと全てが“初モノ~!!”。初モノものは世間では普通「メデタイ」ものなのだが、自分自身の把握となれば、そりゃそんな素直な感情で片付けられないから、チョット厄介な感じがしてしまう、というわけだ。
からまっている糸が解ける時に、簡単な結び目を除けば「何だ、ここからか」と思ったのも束の間、「あれ?今度はこっち?違ったか?…ああ~ここだ」ってなるでしょ?。あれと同じ。まだ糸だからアレコレと言いながらも先に進んでいける。ところが自分のことだとそうは行かない、というか行かなくなっちゃうのだ。ナゼでしょう?理由は簡単で、第一に「人間は糸ほど単純じゃない」。第二に「人間は欲がある」からだ。もっとこうなんじゃないか?そう言い切れるわけでもないし…みたいな感覚が消えない。「少々お待ちを~」と立ち止まることが増え、わからなくなる。お笑い芸人の「もう中学生」みたいに、お待ちしても「ためになったね~」と簡単に言えない。
「人間、自分のことを客観的につかむことがこんなに難しいことだったんだ」と感じた会員がほとんどだと思う。でも自分の人生に関しては見えてくるものがあっても、その中で何が良いのか分からない状態になる。実は企業にも同じことが言える。例えば、今の世の中はスピードの時代と言われるが、一方で「先んじれば制す」ということが全てに当てはまらない時代になってきた。持っていた強みが弱みに変わることが起きる時代になったのだ。例えばソニー。「世界のソニー」と自他共に認めていた日本を代表する企業で、今もブランド力はある。しかし80年代の戦略推進が逆に足かせになりブランド力を以前より落とすハメになった。80年代前半、ビデオの世界でソニーはベータ方式を採用していた。画質等でベータはVHSより上だという評価があり、実際TV局のカメラはこの方式だった。だが、松下をはじめとするVHS陣営に敗れてしまう。理由はソフトだった。当時、売られていたソフトはVHSが圧倒的に多かったのだ(結果、ソニーは最終的にVHSテープを生産することに)。この時、ソニーは「ソフトだ。ソフトを押さえないと勝てない」と強く認識した。既に持っていたCBSソニー(レコード会社)の米本社CBSを買収し、映像面も強化した。80年代後半、ソニーはソフト面でも優位に立った。そこまでは正しかった。
ところが90年代後半からインターネットが普及し、音楽や映像がダウンロードで手に入る技術が確立された。当初、ソフトメーカーは死活問題とばかりに「違法」「問題だ」「認めない」と反対を表明し続けた…。しかし時代は動く。アップルがi-POTを発売した。本来なら、このような製品はソニーが世界最初に発売していて不思議ではなかった。何故出来なかったのか?? もう分かるだろう。「ソフトを守らなきゃ」があったからだ。押さえたソフトの権利が侵され、売れなくなると思ったからだ(結局売れなくなったのは事実だけど)。要は優位性が足枷となってしまったのだ。
これは時代の皮肉であるけれども、大きな社会構造の変化以前に、企業自体が方向不明になるケースが増えている。世の中が行き詰まり、閉塞感があふれている。あふれているから不祥事が起きるのか、不祥事が起きているから閉塞感に拍車をかけているのか…。もはや相互連動にハマッていて分からなくなってきた。
私に言わせてもらうなら「どこかで社会が破け出している」。しかも日本だけの事情とは言えない。9.11テロ以降、世界の軸はある意味では拡散し、別の意味では収束しているような感覚だ。400年間リードしてきた西欧化文明・思想の一部に亀裂が入ってきた。
そんなさなかに日本の学校では論理力向上が取り上げられてきた。英語教育重視が言われてきた。それはそれで否定はしない。しかし、それよりも大事なことを忘れてはいけない。論理力で全てが動くわけではない。他にだって暴力・金力・権力や魅力という力だって存在している。ただこれらは良くない点が指摘しやすいだけで、論理力とは並列なものである。ところが現代日本は論理力優先の風潮。論理があんまり表に出てくると息苦しくなってくる。暮らしにくくなってくる。不必要な単語を駆使し、自然と相手を理解しようという能力は落ちる方向に進む。何だか分からない事は全面否定されてしまう。だから「分かってくれなくていい前提」が増殖して、もっとカルトな世界が生まれ出すのは当たり前な気がする。
英語はしゃべれる方が便利というだけで、本来は彼らの思考や発想の根幹を理解する方がはるかに重要だ。ましてや自国語の語学力以上に他国語をマスターできるわけがないじゃないの!!。自分について(自己チェックとは違う)=自分たちに関して語れない民族を誰が信用するんか~い!(またお笑いみたいになってしまった)。今日現在、君たちがこんなことを必死に考える必要は無いだろう。やっぱり就活に向かっていくことが最重要だ。では何でこんな事を書いたのか?このコラムを読んだ今だけ、ちょっと大きな話を頭に過ぎらせて欲しかったのだ。個人や企業が閉塞状況にあるのだから、こんな話が一瞬過ぎってみるのも良いだろう。そう、一喜一憂していても仕方ない。就活に成功して喜ぶのは良いことに違いないが、その先は一切分からない。だから逆に失敗したと本人が思っても悲しむべきかは、かなり怪しいのだ。受験と違うというのは、ここでも間違いなく言える。もちろん「だからどこでもいいじゃない」等と言うつもりはないが、一呼吸入れて見るとすれば、どう?少し余裕だって持てるでしょうが?
だから、「自分をなるべく等身大に話せ」に行き着くのだ。それ以上でも以下でもない。以上ということはウソついて立派に見せようとすることだし、以下っていうのは損することだ。毎回の面接で100%上手く行くことなんて無いだろう、だからこそ「自分を大きくも小さくも越えるな」と言うのだ。その替わり「越えない限り大いに伝えよう」として欲しい。悩んでても変わらない。面接官だって完璧でないのだ。面接で君たちは、相手に緊張しているのではない。実は自分自身に緊張しているのだから。
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